×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

 


2013年10月13日(日) 本宮 B 阿間河瀧町、土生瀧町

11時33分、阿間河瀧町へ。前日のお昼時と比べると少し地車の位置が手前になっていた。
梃子掛けには溝と波の彫刻があります
 
今回は、裏面の丸<阿滝>の面を使っているかと期待して阿滝へ行きました。
 
二日目は榊から御幣に替わっています。
 
内枠無し、町名も割と小さく書かれており、更に梨子地の旗棒も相まってレトロ感があって良いです。

 
以前と比べると旗棒・三方正面も替わっています。 / 紋は、丸<阿滝>と片喰紋の対
 
 2011/10/8 11時頃

以前見たときの番号持ちは大黒天でした。 / 町を入れて五文字の町名旗は稀です。(他:二田國津社)
 
水桶は昨年から長桶になりました。近年主流のボックス仕様では無く蛇口があり直接水がでる昔ながらのタイプかと
中央の彫刻意匠は小旗にも使われている様です
製作は地車大工&彫師さんなのでしょうか、気になる所
町名旗の町名には縁取りがあります。
新調時(S58年)から後旗は30年目に突入 / 続いて土生瀧に移動
緑の交差旗

以前は額町先代タイプのような緑で、白抜きの縦丸<土生瀧>の旗でした。(町名も同じく白抜きで土生瀧町青年団、竿頭は銀三方剣)
H20年の1年だけ、竿頭が銀三方剣の年がありました。

昭和56年の大修理後もしばらく(400年祭時も)は、前途の前の交差旗を使っていました。(竿頭は三方正面)
町名旗も緑色。上部の大き目の余白部分と町を冠さないのが特徴的。

三方正面は、左が「土」、中央が「生」、左が「瀧」の面でそれぞれ正面を向いていた。
幟もS56年の大修理時に新調されている。後旗は32年、交差旗は20数年の使用歴でしょうか 
 
 阿間河瀧の片喰紋に対して、土生瀧は剣片喰の紋を使用している。
 12時前、東岸和田へ向けて出発していきました。
 
この後は下出の交差旗の面を見る為、山滝へ

その4へ


modified 2013/10/23